星まつりの夜に~暁の星になるまで

60代♀の思い出を書いています。 昭和40年代からの記憶を辿りながら自分史を作っています

昭和30年代生まれの♀が子供時代からを振り返って思い出を書いています

老朽化が進む名古屋都心部のビル
デパートや劇場、商業ビルなどが建て替えラッシュ
高層化とホテルやマンション、オフィスと合体した形態に変わるのが多い
建て替えが決まると少しづつテナントが撤退して行き活気がどんどん無くなって行く
今では名古屋駅前はビルが立ち並び買い物に、食事にと賑わっているが
昔は栄の方が賑わっていた
地元の老舗デパートの松坂屋は栄近くの矢場町
私が若い頃は栄でほとんど買い物や遊びはしていた
お金の無い10代には嬉しい安価なお店がいっぱいあった
オシャレをしたいお年頃
流行りものを安く手に入れてワンシーズンで着倒す(笑)
洋服は毎月買っていた
もう無くなってしまったけど
栄町ビルとか、中日ビルなんかにはよく行った
中日ビルにはレースをふんだんに使った洋服の店があった
今で言う甘ロリみたいな
そこの店主がそういう服を着たお婆さんだった(笑)
中日ビルが取り壊されるって聞いて久しぶりに行ってみたけどもうお店は無くなってた
中日ビルの裏手には雑居ビルがいっぱい建っていて
ディスコも何軒かあった
安いディスコもあって、週に3回位は通ってた(笑)
元々運動好きなのに就職したら身体動かす機会が無くなって
ディスコで踊りまくってた(笑)
その頃は振り付けとか決まっていてこの曲はここでターンとか
フロアの左右で分かれて後ろに下がったり交差したり( ̄▽ ̄;)
結構な難易度(笑)
ジンギスカンとかサタデーナイトフィーバーとか洋物ロック系も多かった
デビューからのファンのサザンオールスターズの勝手にシンドバッドなんかも夜9時位になるとかかって今何時?のフレーズを大合唱(笑)
これも後期になって来るとディスコが高級化して行って黒服のいるカジュアルな服装で入れないマハラジャ系が台頭して来た
バブル期になる
変わり行く街に思い出の場所が消えていく
昭和は遠くなりにけり

父親が社交的で友人が多く、部下からも慕われていたので
家にはいつもお客様がいた。
飲み始めると長いので( ̄▽ ̄;)
日本酒を温めるちろりの番は私だった
ちろりの真ん中辺りにスーツと気泡?が上がってきたらOK
温め過ぎたらアルコール飛んじゃうし香りも飛んじゃう
家にも人が集まったけど父親も他の家で飲むことがあった
近所の家なんだけどワイワイやってるから、なかなか帰って来ない
母親は下戸で料理も苦手なので肴を作る訳でもないけど、寝転がってる訳にもいかない
父親がなかなか帰って来ないと機嫌が悪くなる
さっさと寝ちゃえばいいんだけどね
それで私に迎えに行かせる
迎えに行くとその家のおばさんが私にも上がってなんか食べなさいと言う
よく知ってる家の人だし、ジュースとお菓子なんか貰ってその家の子と遊んだりしてたら
もう、母親が赤鬼のごとく怒る!
ミイラ取りがミイラになる
それ以降は父親を無理やり帰らせるのに必死になった
おばさんとかはゆっくりしていけって言うけど怒られるのは私
泣きわめいて連れて帰る( ̄▽ ̄;)

なんで母親が連れ戻しに行かなかったのか?
社交的な父親と内向的な母親
私は父親似(笑)
お客様来るのが大嫌いな母親と大好きな父親
私が成長してからはちろりと肴も作るようになった
なんの因果か私の夫は母親に似ている……

サザエさんの三河屋さん、昔はどこも御用聞きに回って来て配達してもらってた
あれ、そろそろ無くなるんじゃないですか?って把握してた(笑)
うちは父親が酒飲みだったから酒屋さんでビールをケースで買ってた
日本酒も、あとは調味料とか
お米屋さんも配達だった。
こっちはお店まで行って注文して後で配達してもらう
電話も家庭に無かった時代だからね
お米屋さんはお米と餅
とジュース
ラッシーっていうのがあった
夕方になると3輪トラックで配達に来る
酒屋さんは若い人が配達していて屋号の○○さんと呼ばれていた。
配達の車が止まると子供たちが集まる
時々乗せてもらった(笑)
今じゃ大問題だね
あの頃は都会でも人の繋がりは濃厚で近所の大人がみんなで子供を育てていた
公園や路上の掃除とか孫を見るとかで、お爺さんお婆さんが常にいたし
悪いことや危ないことは叱ってくれた
付き合いが濃厚過ぎて困る事もあるけど(笑)
うちは母親が働いていたから、色々母親は言われていたと思う( ̄▽ ̄;)
当番とか無言のルール的な役割とかはやってなかったから
母親は家事が苦手なお嬢様育ちだったから家にいるより外で働く方が楽だったんだろう
パート先は色々変わって短期間で辞めることが多かった
辞める理由は歯医者に通うためという謎の理由で(笑)
嘘だけどね(笑)
宛名書きや値札付けとか内職に似た仕事が多かった
工事現場の電話番とか、暇だから編み物とかしていたらしい
今とは職種や内容も違っていた
今では機械化された仕事の多くは人がやっていた
リヤカーで紙の回収に来るおじさんがバネ測りで紙の束を計ってちり紙と交換してたり
みんな夏になるとランニングシャツにステテコと頭に手ぬぐいを巻いて汗びっしょりになって働いた
工事とかも重機とかがあまり無いから人力。
女も夏は家ではムームーみたいな服で
誰も来ないならシミーズ1枚
シミーズって今の人は知らないだろうな
スリップの木綿版で肩が紐ではなくてタンクトップみたいな太さのもの
子供用の下着みたいな感じ
これが木綿のサッカー生地みたいなので作られてる
ステテコ生地みたいな
だから涼しい
女の子はこの下に魔女の宅急便のキキが履いてたみたいなでかいズロースっていうパンツを履いてた
小学校低学年位までだけど(笑)
私より上の世代は母親なんかもシミーズを愛用してて、夏はこれで家の中にいた(笑)
今みたいに事件も多くなかったし
戦後の混乱期を抜けてちょうど景気が上向く頃になるかな?
ここから急に便利な時代へと変貌する
まだ洗濯機もなかったし、冷房なんてない
扇風機1台
冬はコタツと石油ストーブ
夏は蚊帳を吊って寝ていた
玄関も網戸にしてた
昭和40年位のお話。



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