カノープスの呟き~人生の黄昏時を生きる

60代♀のつぶやき。しょうがいのある娘との二人暮し。フルタイムでパートしています。

昭和30年代生まれの♀が日々のつぶやきを書いてます。
老化の出てきた身体と付き合いながらフルタイムで働いています。色々あって、しょうがいのある娘との二人暮し。
別ブログで自分史を作成中。リンク貼ってありますので興味ある方は覗いてやって下さいませ

2020年01月

同級生の妹が生まれつき心臓に欠陥があって 今でもそうだけど手術費用が高くて あの頃は寄付とかも集めるのが大変で今みたいにネットやテレビで呼びかけるとかって方法もなかったし そこの家はうちと同じ社宅で金銭的には裕福では無くて お母さんは近くの工場で働いてた 細身の凄い綺麗な人で工場を辞めて政治家も来るような料亭に勤め始めた その頃どこも持ってなかった車を買った 社宅のボス達は色々と噂してたみたいだけど 無事に妹さんは手術を受けて元気になった 新聞にも小さく載った 色々と嫌な噂をする大人達 そんな暇あるなら小さい弟の世話するとか寄付の活動するとかすればいいのに 小さな弟は同級生のお姉ちゃんが面倒みてた 私たち同級生も一緒に遊んで世話してた 大人になって同窓会で会ったらその同級生は和服を着こなした自分のお店を持つママさんになってた お母さんに似て細面の美人 来てねって名刺配ってた(笑) 高そうな感じだから行けなかったけど(笑) スナックじゃなくてクラブってハードル高いわ!

父親が社交的で友人が多く、部下からも慕われていたので
家にはいつもお客様がいた。
飲み始めると長いので( ̄▽ ̄;)
日本酒を温めるちろりの番は私だった
ちろりの真ん中辺りにスーツと気泡?が上がってきたらOK
温め過ぎたらアルコール飛んじゃうし香りも飛んじゃう
家にも人が集まったけど父親も他の家で飲むことがあった
近所の家なんだけどワイワイやってるから、なかなか帰って来ない
母親は下戸で料理も苦手なので肴を作る訳でもないけど、寝転がってる訳にもいかない
父親がなかなか帰って来ないと機嫌が悪くなる
さっさと寝ちゃえばいいんだけどね
それで私に迎えに行かせる
迎えに行くとその家のおばさんが私にも上がってなんか食べなさいと言う
よく知ってる家の人だし、ジュースとお菓子なんか貰ってその家の子と遊んだりしてたら
もう、母親が赤鬼のごとく怒る!
ミイラ取りがミイラになる
それ以降は父親を無理やり帰らせるのに必死になった
おばさんとかはゆっくりしていけって言うけど怒られるのは私
泣きわめいて連れて帰る( ̄▽ ̄;)

なんで母親が連れ戻しに行かなかったのか?
社交的な父親と内向的な母親
私は父親似(笑)
お客様来るのが大嫌いな母親と大好きな父親
私が成長してからはちろりと肴も作るようになった
なんの因果か私の夫は母親に似ている……

サザエさんの三河屋さん、昔はどこも御用聞きに回って来て配達してもらってた
あれ、そろそろ無くなるんじゃないですか?って把握してた(笑)
うちは父親が酒飲みだったから酒屋さんでビールをケースで買ってた
日本酒も、あとは調味料とか
お米屋さんも配達だった。
こっちはお店まで行って注文して後で配達してもらう
電話も家庭に無かった時代だからね
お米屋さんはお米と餅
とジュース
ラッシーっていうのがあった
夕方になると3輪トラックで配達に来る
酒屋さんは若い人が配達していて屋号の○○さんと呼ばれていた。
配達の車が止まると子供たちが集まる
時々乗せてもらった(笑)
今じゃ大問題だね
あの頃は都会でも人の繋がりは濃厚で近所の大人がみんなで子供を育てていた
公園や路上の掃除とか孫を見るとかで、お爺さんお婆さんが常にいたし
悪いことや危ないことは叱ってくれた
付き合いが濃厚過ぎて困る事もあるけど(笑)
うちは母親が働いていたから、色々母親は言われていたと思う( ̄▽ ̄;)
当番とか無言のルール的な役割とかはやってなかったから
母親は家事が苦手なお嬢様育ちだったから家にいるより外で働く方が楽だったんだろう
パート先は色々変わって短期間で辞めることが多かった
辞める理由は歯医者に通うためという謎の理由で(笑)
嘘だけどね(笑)
宛名書きや値札付けとか内職に似た仕事が多かった
工事現場の電話番とか、暇だから編み物とかしていたらしい
今とは職種や内容も違っていた
今では機械化された仕事の多くは人がやっていた
リヤカーで紙の回収に来るおじさんがバネ測りで紙の束を計ってちり紙と交換してたり
みんな夏になるとランニングシャツにステテコと頭に手ぬぐいを巻いて汗びっしょりになって働いた
工事とかも重機とかがあまり無いから人力。
女も夏は家ではムームーみたいな服で
誰も来ないならシミーズ1枚
シミーズって今の人は知らないだろうな
スリップの木綿版で肩が紐ではなくてタンクトップみたいな太さのもの
子供用の下着みたいな感じ
これが木綿のサッカー生地みたいなので作られてる
ステテコ生地みたいな
だから涼しい
女の子はこの下に魔女の宅急便のキキが履いてたみたいなでかいズロースっていうパンツを履いてた
小学校低学年位までだけど(笑)
私より上の世代は母親なんかもシミーズを愛用してて、夏はこれで家の中にいた(笑)
今みたいに事件も多くなかったし
戦後の混乱期を抜けてちょうど景気が上向く頃になるかな?
ここから急に便利な時代へと変貌する
まだ洗濯機もなかったし、冷房なんてない
扇風機1台
冬はコタツと石油ストーブ
夏は蚊帳を吊って寝ていた
玄関も網戸にしてた
昭和40年位のお話。



近くの〇〇百貨店というビルの1階にたこ焼き屋があった。
百貨店って名前だけど小さなビルで洋服屋があったくらいしか覚えていない
道路沿いにたこ焼き屋さんがあって時々買いに行った
親子でやっているお店で子沢山の家族で
小学生やもっと小さい子もいてみんなで手伝ってやっていた
値段も安くて美味しかったので
いつもお客さんが並んでいた
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柔らかい生地で生地に醤油の味がして、上から特設ソースをたっぷり掛けてくれる
隠し味?マヨネーズが入っていた
癖になる味で。
ビルが取り壊しになって食べられなくなった
ところが、しばらくしてバスで10分位の所に小さなたこ焼き屋さんとしてまた開いていた
アーケード街の近くのバス停前
以前のようにたくさんの人が並んでいた
自宅から遠くなったから以前みたいにしょっちゅうは行けなくなったけど
中学生になってからは時々チャリで行った

あれから50年近く経って久しぶりに行ってみたら新しいビルが建っていて
それでもそこの1階にはたこ焼き屋さんがあった
もちろんあの頃のお父さんでは無いだろうけど
あの頃と同じで家族総出で営業してた
フッとタイムスリップしたかのような気分になった


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リボンシトロン。
昔からあるジュース
粉で溶かして飲むタイプのジュースが多い中、これは瓶で大好きだった
まだペットボトルとか発明?されてない時代
コーラもビールもガラス瓶で回収して貰うとお金が返ってくる
エコ生活でしたね。今思えば(笑)
買い物も買い物籠持って行って、調味料も量り売りしていましたし
豆腐は容器を持って行って入れて貰っていました
豆腐屋さんがラッパ吹きながら回って来ていました。
ラーメンの屋台も来て、ラーメン丼や鍋を持って行って入れてもらってました
リボンシトロンを何本か買うと景品が当たるというのに応募して見事に当選(笑)
昔からくじ運は良いんです
宝くじは当たらないけど( ̄▽ ̄;)
Tシャツで白地にリボンシトロンのキャラクターの女の子の目の部分が大きくプリントされています
ウインクしたまつ毛長いお目目で
嬉しくてよく着ていたのですが母親が洗濯をしてベランダに干していると
例のクロ(社宅のボスママ )が
あのTシャツは何?!
と言ってきた!
景品で当たったんだけどー
クロはあんなTシャツ子供の教育に良くない、派手だとか?
私よりクロの子供たちはかなり年上で接点なんてまるで無い
その他にもマンモス社宅だったから、年頃の人達もいるわけで
その中で交際してるカップルも現れる
中学生、高校生なら普通のこと
それを発見しては大騒ぎするクロ
手を繋いでたとかのレベルなんだけどね( ̄▽ ̄;)
人の家の洗濯物までチェックするとは!
暇なんだなー
まあ、大人になってからそういうマウント取るみたいな人って少なからずいるって分かったけど
狭い世界でそんな事して楽しいの?って思う
私は群れるの嫌いなので(笑)
女子の中では変わり者かもしれない(笑)

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